ゴルフ会員権ネットブログ スマートゴルフを目指して

10周年を記念に「名義書換料無料」を打ち出した同コース。

これが発表される前のゴルフ会員権相場は5万円以下でしたが一気に20万円以上に高騰しています。
 

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早速コースを見に行きました。鶴ヶ島ICから16km、それほど遠い訳ではありませんが最後は随分山に登っていく感じでした。標高がかなり高いのではないでしょうか。

コースは「水と緑と石の調和」をテーマに設計されたそうです。
随所に池、クリーク、滝のウォーターハザードを配したフラットなレイアウトの中に突如大きな石が配置され目を見張りました。
 

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アップダウンも気になるほど多くはなく広々としており、池やクリークがあるもののプレッシャーは余りない印象でした。

9番ホールは美しい庭園のようです。
 

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バックティで6,600Yありコースレートも71を超えています。
岡部チサンカントリークラブ、寄居カントリークラブ等と比べても遜色のない印象です。

コースからの景観も素晴らしく、東京都心のビル群や東京スカイツリー、秩父の山々、遠く谷川岳まで望めるそうです。

夏でもかなり涼しいのではないでしょうか。

1名での予約も受け入れる数少ないコースだそうで、同伴の方は横浜からひとりでインターネットで予約をされていました。ネット予約に力を入れているのでしょう。

今まで名義書換料を10万円や5万円に下げたコースは数多くありますが、無料にしたゴルフ場は皆無です。

それだけに反響は大きく発表されてからの問い合わせ、登録件数は圧倒的でした。

相場の上下はあるにしても、もしこのままさいたま梨花カントリー会員権相場が変わらなければ転勤や病気でゴルフが出来なくなっても撤退しやすい、それが一番の大きな理由だと思います。

名義書換料が貴重な収入源であるのは理解できますが相場よりはるかに高い書換料(年会費よりも高いところもあり)が当たり前の古い慣習に一石(コース内の巨石のような一石?)を投じたこの方針。絶大な反響があった事は言うまでもありません。
 

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<コースでは季節に応じて四季折々の自然を堪能>

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ニューヨーク州ピッツフォードローカストヒルCCで開催されていた今シーズンメジャー第二戦「全米女子プロ選手権(ウェグマンズLPGA選手権)」は韓国の朴仁妃がプレーオフの末、イギリスのカトリオーナ・マシューを下し優勝。朴仁妃は4月に行われたメジャー初戦のクラフト・ナビスコ選手権も制しており2連勝、開幕からのメジャー連勝は2005年のアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)以来です。

少し気が早いかもしれませんが、年間メジャー総なめという夢のような記録の期待もかかります。開幕戦のホンダLPGAタイランドを制してから今シーズン既に4勝、うちメジャー2勝ですから勝負強さは抜群で一昨年のヤニ・ツェンのような勢いがあります。

2013年から毎年9月にフランスで行われているエビアン・マスターズが第五のメジャーツアーになりますが、それまでのUS-LPGA四大メジャー優勝者を2011年から振り返ってみました。

【クラフト・ナビスコ選手権】
2011年 ステーシー・ルイス(アメリカ)
2012年 ユ・ソンヨン(韓国)
2013年 朴仁妃(韓国)

【全米女子プロゴルフ選手権】
2011年 ヤニ・ツェン(台湾)
2012年 フォン・シャンシャン(中国)
2013年 朴仁妃(韓国)

【全米女子オープン】
2011年 リュー・ソヨン(韓国)
2012年 チェ・ナヨン(韓国)

【全英オープン】
2011年 ヤニ・ツェン(台湾)
2012年 申智愛(韓国)

直近10回のメジャー優勝者を国別で見ると、韓国6勝、台湾2勝、中国1勝、アメリカ1勝とここ2~3年は完全にアジア勢の強さが際立つUS-LPGAツアーとなっています。アジア勢の中に日本人選手の名前がないのは残念ですが、今年は宮里藍、宮里美香、上田桃子、有村智恵、上原彩子と国内ツアーでもトップクラスの選手が常時参戦していますしもう少しの辛抱だと思っています。

朗報なのは先ほど第五のメジャーツアーと記したエビアン・マスターズがメジャーに昇格したこと。

開催されるエビアン・マスターズゴルフクラブは距離もそれほどなく日本人選手に有利(2009年、2011年宮里藍優勝)。テレビに映し出されるレマン湖を背景にしたゴルフ場の景観は、昨年全英女子オープンの舞台となったロイヤルリバプールのような荒々しさはなく、むしろ日本の名門コースのような趣があります。

次のメジャーは6月末に開催される第三戦の「全米女子プロゴルフ選手権(ニューヨーク州、セボナックGC)」。樋口久子以来の36年ぶりの海外メジャー制覇の期待がかかります。

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昨年6月のゴルフ会員権相場を100としますと少し丸めた数字ですが昨年12月が90、そして現在が120となっています。

1年で2割、この半年で4割ゴルフ会員権が上昇していることになります。
昨年12月に少し下がっているのは年末の損益通算処分の為かと思われます。

日経平均株価は同様に昨年6月(8,440円)を100とすると昨年12月が110、現在が160弱位でしょうか。株式の方が激しい騰がり方をしていることになります。

よくゴルフ会員権は株につられて同じように動く、と言われたものですが今回は当てはまってないようです。

それでもゴルフ会員権が半年という短期間で4割近くも騰がるのはバブル期以降なかったことで売り物が急に消えた感じでした。

6月に入り調整局面を迎えそうな気配もございますが今のところ売り物が急に出てきたという印象もありません。
 


「まだ」上値を目指すのでしょうか。
それとも「もう」天井なのでしょうか。


次回、ゴルフ会員権相場が大きく値上がりしたコース、値上がりしなかったコースについて書いてみたいと思います。

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5月から連載をしていた日経新聞の岡本綾子-私の履歴書が先週で最終回を迎えました。

日本を代表するプロゴルファーの半生を毎日楽しく読ませてもらいました。

私の履歴書と言えば政界や経済界あるいは文化が登場することが多い印象がありますが、スポーツ選手による執筆は昨年8月のマラソン銀メダリストの君原健二氏以来です。

5月1日の「私の人生は土に戻るんだ。」という現在の半農半ゴルフの日々の紹介から始まり、そのあとは兄2人の末っ子として育った幼少時代に話が移ります。ままごと遊びが嫌いで小さい頃は男の子に交じって田畑や山を駆けずりまわり、家の前のため池の食用ガエルも平気で食べたと書かれてあります。プロゴルファーとしての抜群の勝負強さはこのころ育まれたのかもしれません。

幼少期に培われた勝負強さ、体のバネ
また、幼少期は一家総出で実家の農業を手伝っていたそうです。「20キロのジャガイモのコンテナボックスを肩に担いだ」、「井戸から大きなバケツに水を汲んで五右衛門風呂を沸かした」など、日常生活を通じて体幹が鍛えられていったのでしょう。

中学入学後はソフトボール部に入部しすぐに投手として指名され、サウスポーの速球派投手として活躍。左投げのため、ソフトボール部顧問の先生からは左打ちの指導を受けていたようですが、中学のラストゲームで「右で打たせてほしい」と頼み込んだらホームラン。この時点で左投げ右打ちの変則パターンが確立されていたようです。当時はゴルフも右打ちが主流だったはずで、当時もし右打席でホームランを打っていなかったら、左投げ左打ちになっていたかもしれず、プロゴルファー岡本綾子は誕生していなかったかもしれません。

たまたま始めることになったゴルフ
高校はソフトボール特待生として愛媛県の今治明徳高校に入学。練習の厳しさが半端ではなかったようで、エース兼主将に任命された後もソフトボールにはうんざりしていたようです。人間関係に悩んだのも高校時代が初めてで、卒業後はソフトボールを離れて大学進学を希望したそうですが監督に一括され、また父親からも説得され、嫌々ながら大和紡に入社。この大和紡入社が岡本綾子の人生を大きく変えるターニングポイントとなります。

国体で優勝し、大和紡の瀬戸社長に連れて行ってもらったハワイで海外生活へのあこがれを抱き、またこの時初めてハワイのゴルフ場に足を踏み入れています。

ただ、大和紡でも主将となり、後輩部員への対応などでずいぶん神経をすり減らしたようです。「(高校時代)主将に命ぜられたがそんな柄ではない、・・嫌々ながら引き受けざるを得なかった」、「私は人を引っ張るのが苦手」、もともとチームプレーは向いていないタイプだったのかもしれません。

嫌気の差したソフトボールを退部し、しばらくぶらぶらしていたところに言い渡されたのが工場に隣接したゴルフ練習場の勤務。これがプロゴルファー岡本綾子誕生の機会となりました。私の履歴書全般を通じて、大和紡や関係者のサポートへの感謝の言葉が節々に出てきます。

その後池田カンツリー倶楽部で研修生になったときは22歳、周囲からはちょっと遅いと言われたそうですが、ここからは水を得た魚のように仕事の合間を縫っての猛練習が始まります。

トッププロならではのエピソード
私の履歴書を読んでいて唸ったのは、‘1分1秒を惜しんでボールを打つ集中力’と‘深い洞察から紡ぎだされた創造性’です。「セベ・バレステロスや中嶋常幸選手ら5、6人のスイングで、気に入った部分を切り取ってつなげた連続写真を作り、頭の中にインプットした」は一例ですが、常に理想を求め考え続けるプロとしての姿勢があります。

また、トッププロになる過程でぶち当たる個々の事象も赤裸々に記載されています。プロ1年目初優勝を飾った美津濃トーナメントでの樋口久子との駆け引き、真意とは異なるマスコミ報道への違和感、女子プロ協会への不信、トッププロのみが感じる極限のプレッシャー等々。昔の手帳には「ゴルフに関するメモよりもあれこれ書いているのは人間関係のこと」だったそうです。

文章の節々にプレーヤーとしての繊細な部分も見え隠れします。「日本でも米国でも(プロテストは)2度目での合格」でしたが、「自分の中にある弱さ」からくる「びびり、恐怖心」は二度と経験したくないとのこと。「びびり」の症状はその都度異なり、各ツアースタートホールの時もあればバックナインの10番に入った時、8番のティーショットの時など、全てプレッシャーの色合いは異なるそうです。

アメリカツアー参戦時のエピソードも面白いものがあります。同じ組の選手がプレー中にキャディーに小切手を書いてクビ宣告をし、ロープ外のギャラリーにバッグを担がせたこと、試合中にアルコールを飲みながらプレーする選手がいたこと、同伴競技者に人種差別を受けたことなど、非常に興味深く読みました。また、海外ツアー参戦後日本ツアーでは考えられないようなエピソードの数々も記載されています。


何度もチャンスがありながら勝てなかった海外メジャーツアー
海外では残念ながら勝てずじまいで「しょせんは日本の岡本綾子かあ」とも思ったそうです。何度もメジャー戴冠のチャンスを目の前にしたものの、そのチャンスをつかむことはできませんでした。運がなかったのかもしれません。

 

メジャー6大会を含む通算31勝を挙げ、岡本とメジャーで何度も優勝争いをしたパット・ブラドリーとのプレー中の駆け引きや心理戦の記述も非常に面白い内容でした。精神的にタフなイメージがあったブラドリーですが、後年当時アルコール依存症だったことを岡本に告白しています。この2人共に現在62歳でパット・ブラドリーが1951年3月24日生まれで、岡本綾子が1951年4月2日生まれと、生年月日がほぼ1週間しか違いません。

海外メジャーでは勝てませんでしたが、優勝回数62回(国内44回、米ツアー17回 欧州ツアー1回)、USLPGA賞金女王1回(1987年)は燦然と光り輝く成績です。日本を代表するプロゴルファーの宮里藍が米ツアー9勝(2013年5月現在)ですから、この記録がいかにすごいものであるかがわかります。

5人の門下生の活躍
「リーダーシップをとる性格ではないし、協調性を欠くところもある私が5人も面倒をみるとは・・・」。最近5人の門下生(服部真夕、森田理香子、青山加織、表純子、若林舞衣子)の師匠としてがぜん注目を集める岡本綾子ですが、奇しくも昨日比嘉真美子が優勝したリゾートトラストレディス(関西ゴルフ倶楽部)では4位までに4名の門下生がランクインしました。2位、服部真夕、3位、森田理香子、4位タイ、表純子&若林舞衣子。

今年は森田理香子が賞金ランキングトップを走っていますし、弟子たちの活躍が目立っています。岡本綾子自身は海外メジャーには手が届きませんでしたが、いつかは弟子たちが海外メジャー勝利、という夢も続きます。
 

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プロフィール

グローバルゴルフネット株式会社
代表取締役社長 坪井 繁幸